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花の先生の困ること、大変なこと、悩み事


花の先生の困ること、大変なこと、悩み事

なりたくてなった花の先生の仕事にも、つらいこと、困りごと、悩み事はあります。それらを挙げてみようと思います。

(一般的なものを選んであげますが、人によっては全くかかわりないこともあります)
(深刻なものも、くだらないものも含みます)(愚痴レベルもあるかもしれません)
(どんな職業でもあり得る困りごとを含みます)

 

花の先生の困ること、大変なこと、よくある悩み事 一覧

◆生徒さんが増えない

人から見ると、「たいして元手もかけずに、家でレッスン料を取れる仕事ができてうらやましい」と思われる職のようですが、肝心の生徒さんを得ることはかなり難しいです。花の先生の人口が多いところほど難しく、首都圏などはすでに何十年も前から飽和状態です。しかも、花の教室は新規参入が比較的難しく、人は「新しくできた教室」よりも「ずっと前からある教室」を信用します。
花の教室は継続して通うものなので、飲食店のように、
「新しくできたあそこに行ってみよう」
とは、なかなか思ってもらえません。

と言うわけで、「開講から何年たっても、一人目の生徒さんが来てくれない」など、珍しい話ではありません。都会では、むしろそういう教室の方が多いかもしれません。
募集しているのに一向に人が来ないという状況は、先生にとってはなかなかつらい状況です。辛さに耐えられず、せっかくおぜん立てした開講をあきらめる先生もいます。


 

◆生徒さんが減る

教室に来てくれる生徒さんが減るのも、お店のお客さんが減るのと同じことで主催者にはつらいことです。
やめる人が偶然に続いたり、「これ以上減ると赤字になる」というラインを越えて減ったりすると、特に先生のダメージは大きいです。
最もダメージが大きいのは、「最後の一人がやめるとき」です。


 

◆生徒さんの温度感を読むのが難しい

人は、それぞれの温度感で花の教室に通います。全身全霊で花を学ぶ決意の人もいれば、ほんの暇つぶしの人もいます。
この生徒さんの温度感を、先生がいつでも正確に読めるとは限りません。

特に、資格をどの程度欲しいと思っているのか、花展などのイベントに興味があるのかどうか、というところは、温度感を読み違えると、生徒さんを悩ませたり、気を遣わせてしまったりすることがあります。
例えば、資格については積極的ではなさそうだと思って声をかけないでいたら、「自分は下手だから資格の話をしてもらえないんだ」と思い込んでいたり。
熱心で積極的な生徒さんに、花展に出品したければ申込書を取ってきましょうか?と言ったら、「出品しなければ先生の顔をつぶすのではないか」と思い込んで無理に出品しようとしたり。
密にコミニュケーションを取れば済むことだと言われそうですが、十年以上も付き合っている生徒さんでも、胸の内はそれほど読みやすいわけではありません。


 

◆良い花屋の選定が大変

使っている花屋が気に入らないと、結構なストレスになります。
気に入らないのが「人柄」の場合は我慢することもできるのですが、品物が気に入らない場合は、教室にとって大きな問題と言えます。

教室の先生にとってよくない花屋とは、

◆質の悪い花を入れられる
◆毎度同じような花ばかり納品される
◆首をかしげるような花材の組み合わせが多い
◆(特にいけばなの場合)枝ものをなかなか入れてもらえない
◆こちらが求める微妙なニュアンスが、全く伝わらない
◆納品時間や、納品数が当てにならない(こんなひどい花屋はめったにありませんが、無いことも無いです)

などのようなことを感じる花屋です。
しかも、一度決めてしまうと、花屋の乗り換えはそう簡単ではないので、最初の選定が肝心になります。


 

◆収支が赤字になる

トータルで黒字になっている花の先生は、驚くほど少ないです。よくあるのが、教室で得た収入が、自分の勉強や創作活動ですべて無くなる、それどころか持ち出しになる、というものです。

こちらの記事→お花の先生の収入を試算してみる でも書いているように、教室で得られる収入自体が、少ないことが多いので、教室の収入を、もともと「少しでも勉強に使えるお金が稼げればそれで良い」と捉えている先生もいます。

切ないのは、「やっと黒字が出るようになってきた教室の赤字」です。

花の先生は、人から見ると「趣味の延長で苦も無く儲けている」と思われていることがよくあり(勝手な幻想です)、なかなか黒字になどできないんだと話しても、あまり信じてもらえません(生徒から、月謝とは別に多額の謝礼をもらっているんだ、と思い込んでいる素人さんはまだ存在します)。信じてもらえないと、なおさら切ないです。


 

◆イベントに追いまくられる

花展や大型の展示は、数か月前から準備が始まります(常設の店舗展示はそれほどでもありませんが)。たとえば、草月流の一番大きい展覧会である「草月展」は、10月末くらいに開催されるのですが、申し込みは7月頃です。3か月以上も前から、企画は動き出します。 そのような展示を数多く引き受けている先生は、一年中数か月先のイベントに追われます。花は、季節的な要素が絡むので、常に季節を先取りして追いまくられていく感覚になります。


 

◆家の中に、道具や資材、素材がたまっていく

花の先生の手元には、放っておくと、道具・資材・素材の類がたまっていきます。特に場所をとるのが花器と大型素材です。
花器は、水盤のようなものばかりではありません。意外に、創作花期は収納しにくく、重ねられません。

少し本格的な大型作品を作るようになると、大量の異質素材・ドライ素材や、持ち歩きできないような流木が手元に残るようになります。それらを、大事に取っておこうとすると(適当に取っておくと、劣化してゴミになるので)、始末の手間も置き場所を確保するのも大変です。

処分してしまおう、と思いきれれば良いのですが、処分するには惜しいものが多いのです。また、高い金額を出したものだと、ゴミにするも、二束三文で引き取ってもらうのもためらいます。取っておけば、次にまた使えると思うからです。
しかも、「これは、めったに手に入らないほど良い品物だな」と思うようなものの場合は、ますます処分できません。処分すると、なぜか「捨てなければよかった」と思う状況になることが多々あるからです。


 

◆過去の遺物みたいな人だと思われる

これは、いけばなの先生特有のものです。「昔のものが好きなんだな」と思われるなら良いほうです。「古臭いものが好きな人なんだろう→その人自身が古臭いのだろう」と思われるのです。
いけばなは、成立したのは室町時代頃ですが(絵や音楽と比べたら、ずっと後代にできたものです)、それを生けてきた人々はそれぞれの時代をリアルに生きていた人たちがそれぞれに美を模索してきたもので、「現在を無視して、室町時代の美意識を保存する手段」ではありません。

しかし、こういうものはイメージです。相手がそう思っていたら、それを塗り替えることは難しいです。


 

◆人にまともな職業と思ってもらえない

世間には、仕事ではない、趣味だろうと思われています。それで自活している人にさえ、世間はそう思っています。

花の勉強自体も遊んでいるのと同じと思われ、真剣に資格試験対策しているのを家族に理解してもらえないことなどよくあることです。実際に趣味から出発する人がほとんどなので、最初は確かに遊びの要素は大きいです。しかし、本人が「もう遊びではない」という方向に舵をきったなら、「それでも、遊びなんだろう?」と言うのは不当ではないのでしょうか。


 

◆貸しスペースを借りにくい

(プリザーブドフラワーはこれには当てはまりません。一番あてはまるのは、いけばなです)
花の稽古場を外部に借りようとするときに、意外にスムーズにいかないことに気づきます。
まず、水を使う作業をすることを嫌われます。相手によっては、生の植物を持ち込むことに良い顔をされません。
そして、いけばなに限っては、花器をいくつか置かせてもらう必要があるのですが(毎回車で花器をいくつも運べば回避できますが、あまり現実的ではありません)、スペースの貴重な都会では、棚やロッカーを使わせてもらうだけでも難しいことです。


 

◆営業目的や、布教目的で入門してくる人がいる

これは、トラブルに発展することがあるので、本当に困ることです。
花の教室には、お金に余裕のあるご婦人方が集まると思われるのか、営業目的、布教目的で入り込んで来ようとする人が現れることがあります。
趣味の教室に通い、そこで自分の仕事の話をするだけなら良いです。自社のサービスを話題にしたり、勧めるのも良いでしょう。問題は、それを強引に押し付けることです。「仲間じゃないですか」という関係性を利用し、相手を断れない立場に追い込んでいくことです。

教室でしていただいて良いことから逸脱している、と思うものを認識したら、先生はそれを注意しなければなりません。教室を守るのは先生の役目です。
これは、非常に気が重いことです。相手が、最初から花の教室に何の思いも持っていない場合、相手は教室と先生を傷つけて去っていくことなど平気だからです。


 

◆組織の中で責任ある職に就くようになると、しがらみが増える

(スクール・流派の一般会員でいるうちは、関係ないです)
花のスクールや流派の中で、責任あるポジションにつくようになると、しがらみが増えます。
出なければならない集まり、出品しなければならない花展、買わなければならない素材や器、つとめなければならない役職などが突然に増えます。
また、そのようなポジションになると、「ひとかどの先生」と思われるので(実際にひとかどの先生であるかどうかは関係ないです)技術、センス、ふるまい、言葉など、すべて注目されます。しかも、「スクール内」「流派内」などの、閉じられた場所で注目されていくので、一種独特の、誰とも共有できないようなプレッシャーが増えていきます。

 

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